代償。


いまいちピンぼけしてしまいましたが、アサルトの少尉昇級試験の問題です。
赤ちゃんチョコボの数かぞえたり、上向いてるか下向いてるかを答えるやつです。

1回目で3回連続失敗して霊銀貨を2枚損しちゃったので、カンニング用に携帯で撮影しておいて再び挑戦していきました。
しかし肝心の画像がピンぼけしまくっているので、頭数もチョコボの向きもわからずでカンニングの役目を果たさず、結局自力でクリアしましたw

しかし、あの鬼教官。いいキャラしてますよね(´∀`)

「ほう、うじ虫はうじ虫でも貴様はハエになれるうじ虫のようだな。」

これがお気に入りです。
誉めてるのか誉めてないのかわからない、でも実は生徒のためをとっても思っているっていう暖かい性格。風邪引いたチョコボへの気遣いとか実はええ人だったり。
アメリカ人が好きそうなキャラですよね(´∀`)

ところで「傾注!」。これって何て読むの?w 「けいちゅう」?w

>えー、まだ続くの?(;;;;´Д`)

という声が聞こえているのはわかっています。
そろそろ最終章です。峠は越しました。もう少し頑張ってください。

あんまし好きだ好きだを連呼すると安っぽくなってきているのは百も承知です。

しかし、

「今言わなくていつ言うんだ?」

なわけです。
きっとそうだと思います。というわけで、今日も参ります。

先日、古くからのフレにこのようなことを言われました。

「自分をそんな風な気持ちにしてくれる人がいるっていうのは、とっても幸せなことだよね」

その通りです。
その通りだと思います。画面の前で僕はうんうんとうなずいておりました。

かなり以前に御方様自身からも、同様な似たような言葉を言われたことがありました。

「そんな風にわたしを思ってくれるっていうのは、とってもありがたいことだよね」

こんな感じだったでしょうか。軽くデジャヴでした。

僕は思います。

本当に、あなたがいなければ僕はホルン後FFを辞めていたら、どうなっていたかとか考えただけで、ゾッとしました。

きっと意味もなく、自分のことしか考えてない、ただただ画道に邁進する修羅になっていたでしょう。
本質的には一人でホルン作った僕が、そのまま何の変化もせず延長されていって、今までFFしてた時間の部分が絵を描いてるだけになってたと思います。

それが今ではどうですか。

まるで愛の戦士だヽ(´∀`)/

アホっぽいけどこの表現が一番妥当です。
あなたのためなら僕は死ねるー!(死にませんよw)とか馬鹿みたいにここに書けているのですから、本当に頭おかしくなっているのだと思います。良い意味で、です。

あなたがいたから変化できたのか、あるいは、変化できたからあなたを好きになったのか。

どっちが先かっていうと、きっかけをくれたのはやっぱりあなたですから、やっぱり御方様のおかげなんでしょうねぇ。

”自分を変えてくれた人に対する恩返しの意味を込めて。”

というのが最初のマラソンの出だしでした。
しかし今では、それが全くどこかにぶっ飛んでしまいました。

「わたしの何のどのへんが好きなの?」って言われても僕は正確に答えることができません。
最初の方は色々と言えたのですが。今はもう無理です。

そうですねぇ。

今、「わたしのどこが好きなの?」と問われて僕が答えるとしたら、

「僕が知る限り全部!(´∀`)」

って言いますw
本当です。何だったら訊いてみてくださいw

すでに引退していなくなったフレにも、このようなことを言われたことがあります。

「好きな部分も嫌いな部分も、付き合っていくうちに増えたり減ったりしていくよーw」

うーん、今ではこの言葉の意味がよく理解できます…。

”好きな部分の数が上昇していけば、関係はより親密になっていくのでしょうか。”

”嫌いな部分の数が上昇していけば、関係は御破算になるのでしょうか。”

こんな感じの、ギャルゲーか何かの、ときめき指数みたいな。
数字の上昇で、人間関係なんていうものは計れるものではないはずです。

僕は必ずしもそうではないと思います。今はそう思うようになりました。
もっと複雑で多種多様だと思います。
(以前は数字の上昇程度の、そのようなものだと思っていました;;すいません;;馬鹿すぎたんです;;)

都合良くキリが良いところで嫌になったら、「はい、【さようなら】w」、なんていうのは。
もっともやってはいけない悪手なのだ、ということです。
(すいません;;昔やっちゃいましたし、やろうと考えていました;;もうしません;;)

僕にはこういう持論があります。

”長所の短所も、弱点も欠点も、その人の魅力のうちだ。”

誰だって不安定な部分は持っています。良い部分しか見えない・見せてない人なんて、とっても不気味です。
かくいう僕だって、どうでもいい些細な事で、すぐに影響されて凹んでがっかりして拗ねます。

そういう弱さを時々みせてくれて、「あー、今弱ってるんだなー」と思い気遣うのが・気遣い合えるのが、素晴らしいことではないか、と僕は思います。

常時弱音を愚痴っぽく挨拶代わりに連呼する人が、僕の知り合いにいます。
あれはだめです。一緒にいると何だかとっても後ろ向きな気分になっちゃって、気分が悪くなります。
こういうのじゃなくて。

だからと言って。

その弱点や欠点を、指摘して、良い方向へ直してあげる・矯正する、っていうのもまた違います。違うと思います。
僕が思うのは、その弱点や欠点をも認めて受け入れて、相対しても怯まず嫌がらず許しちゃって全部容認してしまう。でも内心、出来れば少しはマシになってほしいにゃー(´ー`)でもそのままでいいよ(´∀`)

って感じでしょうかねぇ。

相手を十分に受け入れられるだけの精神力の強さ・許容量の増大、が必要とされますね。

自分のことしか考えない子供には無理です。
よって子供でガキだった以前の僕には到底無理だったわけです。

最近はこのへんの精神力を鍛えようと努力していますね。
(何?これがもしかしてガンダムの劇中でよく使われる”大人になる”というやつなのか?(´∀`))

まぁ。

「そうやって信頼関係を、色んな事象を通じて、ともに泣き笑い喜び悲しみ、時間をかけて築き上げていって、もっともっと仲良くなっていくことこそが、ともに成長していくことこそが。」

えっと、何て言うのでしょう。
人生の冥利に尽きるっていうのかな。これこそが人がこの世を生きていく大前提っていうのかな。

よくわかりませんが、

”そのような一緒に生きてくれて、自分を理解してくれる存在がすぐそばにいる”

ということでしょうか。
”わにとかげぎす”で古谷実氏が最終巻で似たようなことを言っていたと思います。

”そんな人が、いるといないじゃ、大違い”

って締めていましたね。
僕もその通りだと思います。

で、話は最初に戻りまして、僕は以下のように述べたいと思います。

「そんな風に、自分のことを思ってくれる人がいることは、とっても幸せなことだよね」

なわけなんです。

僕が頑張れば頑張るほどに、幸せになってくれるんなら、喜んでくれるというのなら、頑張るしかないでしょう。
んで、僕自身も幸せな気分になれているんだから。

もっと頑張ろうー!って気になっちゃいますよねー(´∀`)ウヘへ

>本日の成果
6ヶ所+グスゲン土1回 でした。

残り22試練也。

順調に減らしております。なんか場合によっては一日マラソンだけで終わってしまう気分なのですが、やるしかないので頑張ります。

しかしボヤ鍵が全く出ない。かれこれ通算40匹くらい連続で出ていないようです。
通りがかりにアクエリ池でサンダガ3で蟹4匹、あやつったマンドラをうさたんにぶつけて走り去るを4匹、毎日やっているのですが出ません。
出るときは連続3本とか出るのですが、ドロップかたよりすぎですね。

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